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平井和正の「近況+」過去ログです。

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 2004/01/26  ビワの葉星人


ビワの葉第二弾をお送りする。爆笑されるのは覚悟の上。サッチャンによると私はビワの葉星人だそうである。本年──2004年1月9日、インスピレーションが稲妻となって頭上に落下してきた。温熱療法はマチガイである。なぜなら、がんばっても治療時間はコンニャクが冷めるまでの20分間程度だからだ。しかし、実際問題としてコンニャクはずっしりと重く、顔面に装着するやり方も困難で、治療する間手でしっかり押さえているため、肩こりがする始末だ。しかし、ビワの生葉を常温のまま顔面に貼り付けるのは困難ではない。メガネをかけたまま、仕事も可能だ。しかもビワの葉が乾ききるまでの数時間、顔面に貼り付けたままでいられる。
以上がインスピレーションの全容であった。ビワの生葉の薬効成分は、皮膚の体温によって揮発し、皮膚の深部まで浸透する。
この療法は私の発明ではない。本来、これは痛みを取り去ることで卓効が認められている自然療法なのである。ちなみにビワの葉が潤沢に手に入らない場合は、乾燥防止のためラップにセロテープで留め、つるつるした葉の表面を痛む患部に張り付ける。これはまさしく劇的な効果があるという。外傷や火傷に、頭痛、のどの痛み、咳には胸と背中に貼る。事実、しつこい気管支炎を患ったとき、私は足浴に加えて、ビワの葉を胸に貼りつけておいたら、三ヶ月の間つきまとわれた気管支炎が見事に治ってしまった。
今回の眼精疲労への応用は、その布石があったからである。驚くべきことに、治療開始の当日から効果が現れ、冷たい北風の中に日課の散策に出たとき、いつもはたちまち漲り溢れる涙が頬を伝うこともなかった。しめた、これでやっと四年越しの執拗な眼精疲労とはおさらばだ、と私は歓喜をこめて叫んだのであった。事実、本日1月26日現在まで涙目、メヤニの症状は一度も復活していない。
これは一切嘘偽りのない私平井和正の体験記である。やり方は簡単、ビワの生葉を適当なサイズに切り、絆創膏で貼り付けるだけ。私のケースでは、ビワの葉が折り曲げると砕けるまで貼りっぱなしにしておく。夜の間ずっと貼っておくのもよいが、寝相が悪いと朝にはビワの葉は行方不明になっている。いずれまた経過報告を近況+に掲載するが、いつになるかは不明。実をいうとビワの生葉療法をやめると、眼精疲労が復活するような強迫観念があるせいだ。疾患のある片目に眼帯をかけて読書してもたちどころにどろどろと濃厚なメヤニが視界を真っ白けにする。その恐ろしさはなんともいいようがないほどだ。現在は外出時に、それが数時間の長きに及んでも涙目やメヤニが復活することはない。無事快癒を祈ってやってください。
書き忘れそうになったが、ビワの葉は寒冷な地方では入手が難しいそうである。寒冷地在住の読者の方々のために、どうやって入手するか、なにかいい知恵はないですか?



  
 2004/01/22  お釈迦様とビワの葉のお話であります


この葉っぱ、なんの変哲もないビワの葉である。古来、ビワの葉は薬用に用いられてきた。伝承によれば、ビワの葉の薬効を最初に証明したのは、お釈迦様で、病苦に苦しんでいる病人を見ると弟子にビワの葉を採取させ、二枚の葉の表面を互いにすり合わせて、摩擦熱で熱くなったビワの葉を患部に押し当て、病苦を軽減させた、とある。
私平井和正もお釈迦様に倣って、ビワの生葉を眼精疲労の治療に使えないかと考えた。コンニャクを茹でてタオルにくるみ、その表面にビワの葉を当て、眼精疲労で涙目とメヤニが著しい左目に押し当てた。確かに効果のほどはある程度見られたのだが、寒い北風の中に出ると吹きつける風にたちまちどっと涙が溢れてしまう。目医者によると年齢のせいで涙腺が萎縮するのでそれはやむを得ないことなのだ、と説明され、目薬をくれた。目医者は何を相談しても目薬をくれるだけで、しかもその目薬は涙目やメヤニ、眼精疲労にはさっぱり効果をもたらしてくれないのである。
自然療法にある茹でたコンニャク+ビワ生葉温熱療法は、ささやかな効能を発揮してくれたが、私の期待とはほど遠かった。数カ月の間、毎日数回治療を繰り返したが、それは明確な治癒にはやはり遠く、いつ果てるともない泥道を歩くのに似ていた。
そして今年2004年一月、天啓(インスピレーション)が訪れ、コンニャクの温熱療法はさらりと捨てることになったのである。(前編終わり)チャンネルをこのまま後編を待たれよ。(これはアメリカのテレビの連続番組の決まり文句である。

  
 2004/01/15  少々お待ちください


パソコン断ちも本日で二カ月、どこまで続くぬかるみぞ、というのが実感だった。昨年は一月から涙目と目脂の嵐に見舞われて、一年間を過ごしたのだが、今年は天啓の閃きがあって、療法を変えた。それまでは薬石効なしだったのだが、冷たい風の中であっても、どっと溢れる涙が止んだ。新しい療法を採用して、本日でわずか一週間めなのだが、涙目と目脂の嵐が止んだのは事実だ。
しかし、四年間にも及ぶ眼精疲労がこのまま沙汰止みというのはやはり信じられない。あまりにも失望が続くと快癒という事態が信じられなくなるのである。
暗闇のなかでかそけき希望の燭光が見えてきた、ということであって、バンザイ三唱という気にはなれないのである。いずれ新しい療法については画像入りで詳しく解説してみたいと思っている。
さて、この画像は、新作七百枚の力作ながら、かえすがえすも口惜しい売り物にできない作品、[非売品]の表紙である。全員集合写真なのだが、残念ながら円君と妹のくるす、すばる、ななこの姿がない。またゼータ(セタ)の姿も見られないのは非常に残念。ちょい顔見せのナナハンコゾー氷川秀才の姿もない。かなり露出した欅るり子も欠場だ。肝心の東丈も見られない。塚原組の小頭矢頭なんかはいいとしても、高鳥慶輔の顔も見たかったような気もする。まあしかし、漏れ組まで全部描くわけにもいかなかったのだろう。人数が多すぎると顔などわからなくなってしまう。
イラストレーターの泉谷あゆみ嬢によると、これまで手がけたことのない幻魔大戦、ボヘミアンガラス・ストリートのキャラを描けたのでとてもおもしろかったとのことである。

  
 2003/11/15  ご無沙汰です。パソコン断ちの前にちょっとだけ。


三カ月ぶりのアップになってしまった。その間の近況ネタは[眼精疲労]ばかりで、画像にはとてもならない。目を冷やしていたのが大間違いと最近わかった。目を温めるのが正しかったのだ。
講談社の児童局のTさんから便りを頂戴したのが今年の春先だったか。[青い鳥文庫]というジュベナイル小説シリーズを出している編集さんだった。今現在、講談社でもっとも元気のいいセクション、と内田勝さんが教えてくれたのが「超人騎士団リーパーズ」刊行に繫がった。
私平井和正は8マン以来、コミックの原作者生活を送っていたので、ジュベナイル小説には無縁だった。よいこのための小説、苦手なのである。PTAママに読まれれば焚書にされるような小説が書きたい私、ジュベナイルという特殊なジャンルがどうも偽善的に感じられてしまう、偏見の持ち主だったのである。子供には子供の性生活がある、などといったら、焚書にされるからである。現に高校生の野々村直哉を主人公にして書いた[ABDUCTION]シリーズですら、赤裸々の高校生の性生活を描くと、うる星の諸星あたる扱いをするマジメな人々がこのサイトにも出入りしているのである。男の子は女の子をどう感じているか、直哉少年を主人公にして本音の部分を書いただけなのに。この[超人騎士団リーパーズ]を読んだ年若い少年少女たちがこのサイトを覗きにくるかもしれないので、念のために書いておきたい。どうかくれぐれも作者の平井和正だけを信じてください。


  
 2003/07/31  もう一度最後の締めくくり


e文庫救済ヤフーオークション、成功裏に終了しました。ご協力戴いた皆様に、深くお礼を申し上げます。週刊アスキー四年分、これはだめでしょう、とだれにも太鼓判を捺されたが、数十分前にぎりぎりで入札が入った。値段は安いが、ヤマトの二十五キロ貨物で四個分。送料のほうが一桁高い。完売で乾杯。この四年分の週アス、いろんな思い出があるが、ひらりんのパンツ男カツシンが五週にわたって「パソコンが好き」に登場したのが一際思い出に残る。
私は週アスの前身、月二回刊の「EYE COM」(これはアイコンと読むのです。なぜかと質問すると、あなたはコムピュータと呼びますか、と切り返される。)これは名物の誌面出たがり編集員出したがりの福岡俊弘編集チョの軽妙なギャグセンスが好きで、先に廃刊になった週刊アスキーには目もくれなかったが、EYE COMがそのまま週アスに変身するなら、と四年間、定期購読したのである。福岡編集チョにも逢ったが、文化放送に出演して、と頼まれたのをにべもなくお断りしたため、お呼びがかからなくなった。本当に愛想なしですんませんでした。
私はアイディアを思いつくとそこにあったものの上に書き込む癖があり、「EYE COM」の表紙にも走り書きがある。その思い出深い「EYE COM」数冊も含めて、唯一の入札者であり落札者であるかたに差し上げることにした。「EYE COM」の表紙にアイディアを殴り書きした画像は、平井和正の「狼亭」サイトの「マニアック画像掲示板」でお目にかけましょう。


  

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