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平井和正の「近況+」過去ログです。

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 2002/06/08  ラ・ゴロンドリーナ(すばらしいメキシコ民謡で、自分の魂をツバメに託した歌であります)


ちょっと珍しいものを。
ツバメは珍しくないが、ツバメの水浴を目撃した人は珍しいのではないか。先日、強烈な雨が降ったときのこと。まさに豪雨であった。他の小鳥はもちろん大型のカラス、鳶までがあっという間に姿を消した。ただ一羽だけ電線に止まっている小鳥がいる。この猛烈な土砂降りの雨にたじろぐ気配もない。カメラの望遠レンズを向けてみると、ご覧の通りのツバメであった。何をやっておるのか、体操をしているようである。よくよく観察するとツバメは豪雨のシャワーを浴びているのであった。心地よさげに翼をあげたり下げたり、体をねじったり、シャワーの快感を満喫しているのであった。
ツバメは何千キロもの旅をする鳥だ。太平洋の真っ只中で強烈なスコールの真っ只中に飛び込むこともあるだろう。このツバメも平気平気、慣れてます、というに違いない。時計を見ると三十分も豪雨の中でシャワーを楽しんでいたことがわかった。
それにしてもツバメという小鳥は、この小さな体で陸地も見えない大海原の上を何千キロも飛んでいく。なんという壮大な肝っ玉だろう。それを思うと、人間て言う日常的存在が、なんとなくみすぼらしく思えてくる。けちくさい根性を匿名という覆面で隠すハッカー諸君、ツバメ諸君に恥ずかしくないようにもっと壮大な生き方をしなされや。
  
 2002/06/01  スパイダーマンその青春彷徨


今、実に多忙なのである。人に遭う仕事が立て続けに生じて、その合間を縫うように執筆を続ける有様だ。まことに不本意だが、人生にはリズムというものがあり、可能な限り、対人関係を避けている私にも回避ができない状況が生まれてくる。
小説が快調に進む時は、それに全力集中するのが私のモットーであり、対人関係を極限まで整理したのはそのためだ。それでもなお避けられないのだから、これは運命的なものであろうと思う。
執筆中の小説にどっぷり漬かっているのが、作家の私にとって最大の仕合せだ。どんな重要な仕事であろうと、断然執筆を優先してしまう。言霊が急かしているのだから、他のメールの返事を書くとかFAXの問い合わせに答えるとか、一切ネグってしまうのは致し方ない。不義理に不義理を重ねることで、私の創作ペースは成立しているのだ。
話変わって、巷では映画の「スパイダーマン」が大人気であるらしい。私はもちろん未見だし、この先も見る気はない。あのグロなスパイダーマンのポスターを見るとうんざりしてしまうのである。初期のテレビアニメには科学知識のないライターが、月面で銃声がとどろいたり、宇宙空間でパラシュートが開くようなとんでもないことを平然とやっていた。子供だまし、と昔からいっているが、あのスパイダーマンというのも明らかにその種のものだからだ。ファンタジーと言葉を曲げるのもおぞましい。それゆえ、この先、スパイダーマンに関しては一切言及しない。
久方ぶりに、今は大家と世評に高い池上遼一さんの新作スパイダーマンを拝ませて戴いた。やっぱり昔の小森ユウとは全然別人である。青春彷徨のさなかにあったひよわな少年、小森ユウの何かに堪えているような、見ているのがつらくなる表情とは違う。当時作家的衰運期にあった私自身のつらさと重なる青春彷徨は、もう遠い過去のものだが、今だって私は手探りで小説を書きつづけているのだから、おなじことか。小説を必死に書きつづけることで救われているのだからなあ。

  
 2002/05/20  四十周年


一瞬、などということは全然なかった。四十年の作家生活の回顧のことだ。いつの時点を呼び出しても、デスクにしがみついて脂汗をじっとりとかいている自分の姿がある。万年筆のペン先のイリジウムが磨耗して、何十本も換えた。そのうちに万年筆が姿を消して、一台百五十万円もする初代ワープロが取って替わった。幻魔大戦を書き終えた頃、右手のペンダコのできる指の爪がピラミッドの稜線みたいになり、激痛が生じて、やむなく高価なワープロを買ったのだ。そのワープロもどんどん代替わりしてゆき、五代目になろうとしているとき、パソコンに切り替えた。そのバソコンも初代から数えて四代目だ。
玉姫山の神様のところへ行ったのは、かれこれ十二年前。玉姫山の神様に気に入られて、こんなことをいわれた。(もちろん霊能者の口を通じてのことだが)「わしは金儲けはさせん。だが、もっといいものをやろう」
もちろん玉姫山の神様が金儲けをさせない神様と承知していたから、少しも驚かなかった。この神様は気に入らない人間を寄せ付けないことで有名だった。来るな、といわれれば、どんなに努力をしてもお山には行けないのだ。お金が儲かりますように、と祈るのは、ちょうど米大統領のホワイトハウスを詣でて私欲を満たそうと願うのとおなじことであるらしい。
以来、私は小説を書くことを非常な楽しみとした。それが玉姫山の神様に与えられた最高の贈り物だった。
ところで、山本周五郎先生は、小説を営々と書きつづけて四十年、「小説の毒があたった」とおっしゃって亡くなられた。どうやら私は不死身であるようだ。
  
 2002/05/13  青葉の墓参


青葉の一日、岡山にマル由さんのお墓参りをした。前日まで土砂降りの岡山、私が岡山入りした時は雲間の切れた岡山空港が眼下に広がっていた。今年は季節の巡りが一ヶ月ほど早まっている。五月に入るともはや入梅の雰囲気が重苦しかった。私を出迎えてくれたメイパパ氏、名うての雨男だそうで、本気になって心配したらしい。しかし、晴れ男の私に分があったらしく、帰宅するまで天気は上々であり、かっと照り付ける陽光と鮮やかな青葉はほとんど夏のものだった。
マル由さんの唐突な死(しかし、入院時にはもはや担当医によって死を宣告されていたようだ)は私にとっていまだに納得が行かないものだった。数ヶ月の命、と宣告するならなぜマル由さんが思い切り命を燃焼させることを許さなかったのか。私はいまだに憤っており、マル由さんの死はトラウマそのものだ。
マル由さんの遺したふたりの兄弟は無邪気な小1の弟、きりっとした男前の中1の兄の対比で墓参に参加した有志たちの涙を誘った。マル由さんは最後まで意識があり、死ぬものか、と口走りながら、スパゲッティー症候群そのまま、あちこちチューブを体中からぶら下げたままベッドを降りてしまい、歩こうと努力したと未亡人がその壮絶な最期を明かした。
マル由さんの闘病記は、同年代の癌の恐怖の圧力を覚えている人々にさまざまな示唆を与えた。医者の言う通りに素直に従って死んではならない。メガビタで免疫力を増大させることで癌の不気味な威圧に立ち向かおうとする人々が増えている。沢山の人々が免疫力を獲得して癌の陥穽から逃れるだろう。
しかし、マル由さんには戦う時間があまりにも乏しかった。一年でもいい、時間が残されていれば、結果は大きく変わった、そう思えてならない。癌科医よ、メスと抗癌剤の拙速な使用を控えよ。患者たちに生きる機会を与えよ。現代の「剣難」とは癌科医のメスである。凶暴な辻斬りの代わりに今は癌科医のメスが待っている時代なのだ。
岡山入りから辞去までアッシーを務めてくださったメイパパ氏に多謝。メイパパ氏がいなければ、私はマル由さんの癌発病すら知らずにいただろう。今年の九月には是非、奥方の目を盗んで東京入りしてください。笑いを取るのが上手なメイパパも、この墓参の間はしゅんとして得意のボケが出なかった。多忙な中、墓参に同行してくださった有志の方々にも感謝します。上の写真を見て、この後姿はだれだろう、とみなさん、噂するだろうな。

  
 2002/05/09  スズメの覗き


スズメは忠義者である。その証拠に「チュウ(忠)」と鳴く。家の子郎党になれば忠義を尽くしてくれるのではないか、とサッチャンがいう。面倒を見てやれば、そのうちツヅラをもって礼にくる。(ネズミだってチュウというとまぜっかえさないこと)それは冗談だが、サッチャンは一年中、スズメと付き合っている。朝と夕方、スズメたち家の子郎党はこの十数年、ご飯を貰いにくる。ところがスズメは臆病者だから、サッチャンがガラス戸越しに姿を見せるとわあっと飛び立って逃げる。すぐに舞い戻ってくるのだが、サッチャンがガラス戸越しに視線をスズメと合わせただけでわあっと逃げる。ずいぶん失礼な話ではないか、とサッチャンはいう。あたしがただの一度でもスズメを苛めたことがあるの、と責める。私を責めてもしょうがないのだが、十数年の間、毎日拙宅を訪問しているのだから、サッチャンの姿を見るだけで逃げるのはやめてほしいと思うのだが、これは「お約束」でスズメとしては逃げずにはいられないのである。逃げるといっても精々数メートルであり、本気で逃げているのではない。そこでサッチャンはガラス戸のすぐ傍にご飯粒を撒いてスズメ寄せを始めた。スズメたちはいやでも人家の至近距離まで引きつけられる。
その結果、何が起こったか? それが画像の写真である。スズメがヘリコプターのようにホバリングして、家の内部を覗き込んでいる。スズメは本当はすごく好奇心が強いのである。もちろん視線が合うと、わあっと逃げ散ることは逃げ散るのである。お約束はお約束として守る義務があるといわんばかりである。

  

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