2002/05/13
青葉の墓参
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青葉の一日、岡山にマル由さんのお墓参りをした。前日まで土砂降りの岡山、私が岡山入りした時は雲間の切れた岡山空港が眼下に広がっていた。今年は季節の巡りが一ヶ月ほど早まっている。五月に入るともはや入梅の雰囲気が重苦しかった。私を出迎えてくれたメイパパ氏、名うての雨男だそうで、本気になって心配したらしい。しかし、晴れ男の私に分があったらしく、帰宅するまで天気は上々であり、かっと照り付ける陽光と鮮やかな青葉はほとんど夏のものだった。 マル由さんの唐突な死(しかし、入院時にはもはや担当医によって死を宣告されていたようだ)は私にとっていまだに納得が行かないものだった。数ヶ月の命、と宣告するならなぜマル由さんが思い切り命を燃焼させることを許さなかったのか。私はいまだに憤っており、マル由さんの死はトラウマそのものだ。 マル由さんの遺したふたりの兄弟は無邪気な小1の弟、きりっとした男前の中1の兄の対比で墓参に参加した有志たちの涙を誘った。マル由さんは最後まで意識があり、死ぬものか、と口走りながら、スパゲッティー症候群そのまま、あちこちチューブを体中からぶら下げたままベッドを降りてしまい、歩こうと努力したと未亡人がその壮絶な最期を明かした。 マル由さんの闘病記は、同年代の癌の恐怖の圧力を覚えている人々にさまざまな示唆を与えた。医者の言う通りに素直に従って死んではならない。メガビタで免疫力を増大させることで癌の不気味な威圧に立ち向かおうとする人々が増えている。沢山の人々が免疫力を獲得して癌の陥穽から逃れるだろう。 しかし、マル由さんには戦う時間があまりにも乏しかった。一年でもいい、時間が残されていれば、結果は大きく変わった、そう思えてならない。癌科医よ、メスと抗癌剤の拙速な使用を控えよ。患者たちに生きる機会を与えよ。現代の「剣難」とは癌科医のメスである。凶暴な辻斬りの代わりに今は癌科医のメスが待っている時代なのだ。 岡山入りから辞去までアッシーを務めてくださったメイパパ氏に多謝。メイパパ氏がいなければ、私はマル由さんの癌発病すら知らずにいただろう。今年の九月には是非、奥方の目を盗んで東京入りしてください。笑いを取るのが上手なメイパパも、この墓参の間はしゅんとして得意のボケが出なかった。多忙な中、墓参に同行してくださった有志の方々にも感謝します。上の写真を見て、この後姿はだれだろう、とみなさん、噂するだろうな。
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