2001/04/11
電子出版、ナメんなよ
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「本とコンピュータ」誌でアンケートとインタヴューを受けた結果がこの春季号に掲載されている。こちらの意が尽くせたわけではないが、既存の出版社が電子出版をめざしても、あまりいい結果は出ないという結論を感じ取れるだろう。作家たちが自分のサイトで自分の電子ブックを売るのが一番よいのだが、わがe文庫が作家たちにとってよい見本になり、ポータルサイトとして機能するという未来が望ましいと俺は思う。これはまだ風聞の域に毛が生えた程度だが、異種業者としてソニーが乗り出すというニュースがある。作家たちは雪崩を打って、頼りにならない既存出版社が保険をかけたような電子出版社よりもソニーを選びそうな気がしてならない。日本の出版社はいずれも古めかしい前近代産業なのだから、というのが俺の感想だ。 尚、取材時に用意した回答、ちょっと長めだが、付録としてここに公開する。 解答編 ● 電子出版への早期取り組み
1980年代に入って間もなく、発売された富士通の初代ワープロ、OASYS100Jを購入。価格はなんと百五十万円もしました。購入の動機は当時、三年ほどかけて「幻魔大戦」シリーズ二本を昼夜兼行で書き続けるうちに、ペンを握る指に激痛が生じて、執筆に支障をきたすようになったから。渡りに舟、と飛びついて、以来親指シフターと化しました。親指シフトの優れた利点は、思考速度とシンクロナイズさせて書けること。 以来二十年近く、ワープロで小説を書きまくりました。当時のパソコン、コンピュータの未来を見据えるSF作家にはお笑い種の稚拙なシロモノ。1995年、WINDOWS95出現によって、本格的にパソコン使いを目指しました。
● 電子文庫パプリ
1980年代から、出版文化には大きな変動が始まりました。本の流通が動脈硬化を起こし、欲する本がきわめて入手しにくくなったことです。明らかに出版業界は一足先に崩壊してしまった日本映画界の後追いを演じておりました。ペーパーをメディアとする出版が資源の限界も相まって、先細りになるのは明白で、インターネットをはじめたばかりの私は当然のようにデジタル・ブックへと赴いた次第。 当時はまだパソコン通信の時代。まずニフティを初めてとするメジャーどころを十社糾合して、本格的なデジタル・ブックを販売することにしました。そのころ、デジタル・ブックを細々と販売する動きがあったとはいえ、ライターはアマチュアレベル、課金制度が整備されていないため、プロ作家の売れっ子が参画するなど夢物語、一般マスコミはまったくこの分野に無知であるばかりか、一片の興味も持たぬ有り様でした。
さて、私平井和正は自分がデジタル・ブックの開拓者となるもっとも好適な資質を備えていると自覚しておりました。ベストセラーの常連として多少は名前を知られており、固定読者も持っている。そして何よりの特技は書き下ろしが出来ること。普通、作家は売れっ子になると、多数の出版社と満遍なく付き合うことを余儀なくされます。狷介な私は大出版社との交際を意識的に避けてきたので、お付き合いは常時二社止まり、そのうちの一社とは改竄事件発生で気まずくなり、残る一社の間も言葉狩りで信頼関係が傷つき、新天地を目指していた。毎月一冊ずつ書き下ろしが出来る私は、新天地となるべきデジタル・ブック業界を自ら育てるしか道がない。固定読者がいて彼らは私の新作を待ち望んでいるのだから、絶対にやらねば、と決心。
ニフティ以下十社を糾合してスタートした時は、新作「ボヘミアンガラス・ストリート」は全九巻がすでに書き下ろされているという好条件。一般マスコミに関心を抱いて貰えるチャンスでした。 狙いは見事的中、「ボヘミアンガラス・ストリート」は一巻あたり四桁の部数を販売することが出来ました。当時の未開拓のデジタル・ブックを試みる人々にとって、この数字は驚異的であったでしょう。なにせ、二十部も売れれば成功、と目されていた時代ですから。 昨年、アメリカの超流行作家スティーブン・キングがネットで新作小説を販売、何十万という売り上げを上げましたが、衝撃度としてはまさしくあんな感じだったでしょう。
1995年、アスキー出版を足掛かりに始めた電子出版は、手前味噌のようですが、まさしく画期的でした。パソコン通信時代のテキスト販売を中止、カラフルな本格的電子出版物として再スタートしたからです。その後アスキー出版が深刻な営業不振で撤退するまで、着々と基礎固めを行いました。 陰気な味もそっけもないテキストなんか駄目だ、というのが私の絶対的信念。すでにペーパー・メディアで達成したカラー化で行かなければ、読者たちははなはだ不満に思うだろう。やるなら徹底的にやろう。というわけで、アスキー出版で手がけていた紙の本は、カラー化を特化させ、電子ブックのためにイラストレーターには泣いて貰って装幀、口絵を含めてイラストはすべてカラーで二十数点、という紙の本でもやっていない無茶な冒険をやりました。これが当たって、売れ行きは倍増、更に倍増。 しかし、アスキーが崩壊的退縮に至って、離れる決心を固めた理由は、この出版社がデジタル文化にもっとも寄与する条件を備えているにも関わらず、とんでもない考え違いをしていたからです。 とてつもなく使いにくい暗号キーを使用、読者が手に入れにくいようにしてしまったこと。私自身で購入を図ってもうまくいかない、失敗続き、とあれば、購入しようと望む読者の迷惑はここに極まれり、というわけで、何度も暗号キーの廃止を要請するも聞き入れられず、アスキーと手を切り、小規模なデジタル出版社「ルナテック」に鞍替え。 販売点数、売り上げともに急増中です。要するに読者が買いやすいシステム、読者が喜ぶ魅力的な本造り、それを提供するしか小資本の小規模デジタル出版社が生き延びる見込みはゼロなのですから、これまで手がけた大手のデジタル出版社が不振に喘ぐ、というのであれば、それと正反対のシステムを採用しているとしか言いようがありません。
●今後電子出版販売に不可欠なこと。
電子文庫パブリ、読者の要望に沿っているとはとても思えません。新作書き下ろしがない、カラー化がなされていない、読者の割高感が強い。表紙もないような本をだれが書店で買うでしょう。読者としての視点が欠如した商売は、ペーパーであろうとデジタルであろうと成功の見込みはありません。少なくとも私自身、電子文庫パブリで買い物をするほど買い気をそそられません。「ルナテック」で私のe文庫をお買い上げ下さる読者の皆さんは、こんなに安くて大丈夫ですか、やっていけるんですかと心配してくれます。読者の支持を得ることが開拓期においては絶対不可欠なんですけどね。
何にも増して不可欠なのは、読者の歓迎するリーダーです。三十分もモニターの前に座っていると覿面に頭痛がするようなシステムで、読書なんか出来ますか? 高価だった液晶モニターは毎年安くなっていますが、まだまだ。私に言わせれば、読書は寝っころがってするもの。一時はリブレットという東芝製の人気のあった小型ノートパソコンで読書を勧めていましたが、これも寝っころがっていると支える手が辛い、まるで分厚いハードカバー本並みだし、ノートパソコンは発熱体なので、低温火傷が心配だったりする。 電子ブックが大ブレークする時は、この寝っころがって、という条件をクリアーした時です。それは電子ペーパーと呼ばれる、本物の紙のように折り曲げ自由の持ち運び至便、寝っころがって読めるリーダーが廉価で販売される時です。PDAには期待しておりません。豆本を読むとやはり頭痛がしますからね。
● 電子出版の未来
紙の本の未来は、だれが考えても悲観的でしょうが、非常に高価な商品として細々と永らえることは疑いません。資源問題は限界に来ているのですから、電子ペーパーが一刻も早く実現することを日夜祈っております。紙資源業界が術策を弄して電子ペーパーを葬ろうとするような未来があったら困りますね。(「メガビタミン・ショック」という本を書いて、製薬業界が本気でメガビタミンを葬ろうとした事実を知りました。)
○ 最後に
e文庫、というネーミングを思いついたのは、もちろんiモードに触発されたせいです。なぜかインターネットの世界では大文字のアルファベットが野暮です。これは感覚的な問題で、だからこそ重要です。iモードというネーミング、大文字でIモード、だったら、こんな大爆発に至らなかったろう、と本気で思います。少なくとも買い気は起きなかったことは私自身確実です。
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