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平井和正の「近況+」過去ログです。

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 2001/04/04  句集「超獄」


句集「超獄」

俺の中大ペンクラブ時代の友、本間俊太郎の句集である。断っておきたいが、俺は作家だし、俳句をひねる、という次元では、発句など大嫌いだ。特に作家仲間で俳句をひねくっているちまちました姿を見ると寒けがする。小手先の技で言葉をいじり回すのは、言霊使いからすると、嬰児虐殺といったレベルで、(大げさすぎる)作家が言霊に見放される早道という恐怖感があるからなのだ。
本間俊太郎は、獄舎に繋がれている時、俳句に目覚めたらしい。鉄格子の独房で俳句造りをする姿を想像すると、痛ましい気もするが、本人にとっては超獄ということだから、まあよしとしよう。詩人の魂の持ち主である本間の句は、余人にはない宇宙観があって俳句嫌いの俺も感銘を受けたりする。これは俺の持論なんだが、作家は獄舎に繋がれた時に最高の仕事をするだろう、という無責任な言いぐさが、ある意味で実証されたような気がする。句集「超獄」から、俺の気に入った句を幾つか紹介する。

行く春や鉄扉閉まりて一人座す

イラン囚茄子の味噌汁配りをり

蝉の声「仏も殺せ」と聞こえけり

囚は皆へのへのもへじ油照り

昼寝覚われ不在なりかつ非在

精神も拘置可能の空に鱶

鷲一羽苦行を捨てし仏陀かな

青地球人は夕映えたりうるか

出獄後、インドに渡って

マガタ国蛇の棲み処となりにけり

ガンガー河魂のごと檸檬浮く

文明は糞の城なり赤砂漠






  
 2001/04/01  ご無沙汰しました。


根をつめて仕事をしていたら、覿面に眼精疲労が猛烈な雪辱を遂げに来た。理由はわかっている。前回の眼精疲労の蹂躪に遭った時に、左右の視力が食い違ってしまったのだ。強制視力で片方が1・0で片方が0・6、根をつめて仕事をするとどうしても良い方の目に負担がかかる。で、気がついた時にはひどい霞み目と涙目。しばらく休養するしか手がないのだが、余儀ない事情もある。その結果、目が痛みだして、視力を必要とすることは何一つ出来なくなった。仕方がないので、両目に眼帯をかけて終日、古今亭志ん生(五代目)のテープとCDを聴いて過ごすしか手がなくなった。落語のコレクションは全部サッチャンのものだ。で、今回紹介するのは、「本とコンピュータ」という雑誌。季刊誌だ。快くアンケートに応じると、e文庫についての取材を頼まれた。日頃思っていることを喋っただけだが、向こう様には新鮮な発言だったらしい。四月発売の号に取材とアンケートに応じた記事が掲載される。
話は違うが、使っているプロバイダー(NIFTY)が従量制を廃して以後、めっきり繫がらなくなった。ひどい時には繫がるまで二、三十分もかかる。世はブロードバンド時代なのに、俺だけは趨勢から切り離されてしまったようだ。インターネットがはるかに遠い。まあいい。別に死ぬわけじゃないし。

  
 2001/02/18  鉄腕アイボ


このところ(といっても何カ月間もずーっとだが)特に近況ネタというものはない。書斎に閉じこもったまま一心に言霊を招来しているだけの生活だ。鬱陶しいと思うかもしれないが、この招霊をやらないと小説は書けない。自分の内部に沈潜するのだ。毎日多忙であちこち駆けずり回るのが好きな作家もいるに違いないが、俺がそんな真似をしようものなら、作品は何も残らなかったろう。ウルフガイも幻魔大戦もそのほか諸々、なんにも生み出されなかった。断っておくが、何も同情してくれと言っているわけではない。やむを得ずにやっていることだ。煮詰まって怒鳴りだしたくなるのはしょっちゅうだが、耐えるしかない。言霊が寄りつかない時は、固い岩盤に爪で文字を彫り込むような絶望的な気分になる。ひたすら忍の一字だ。他の作家のことはよく知らない。あんまり興味もない。面白いのはやっぱり漫画家だ。アシスタント多数を指揮する大変なストレスがのしかかってくる。娘の摩利は漫画家であり、毎月苦難の試練を繰り返すさまを見聞きするにつけ、俺は小説家でよかったなあ、と思うのはそんな時だ。担当のマル編と喧嘩するだけで済むからだ。四人も五人もアシスタントを相手にいさかっていたら、小説なんか書けるはずもない。ストレス過剰でとっくに死んでいる。
しかし、他人事だから、漫画家の苦難を見聞きするのは興趣がある。手塚治虫さんなど、話に聞くだけで抱腹絶倒な逸話が多い。前に友人の豊田有恒氏が手塚さんに裏切り者扱いされ、虫プロの一室に軟禁されて金切り声で怒鳴られた話を紹介した。だれかれ構わず手塚さんが金切り声で怒鳴り散らすのは一種のストレス解消法だったのではないかと思う。俺だったら一週間で即死するような多数の締め切りに追い回されるストレス以上に、あの人は自分の人気を気にすることでストレスを増殖させる人だった。自分を凌ぐような新鋭漫画家が出てくるたびに、自分と新鋭漫画家の作品の人気を比べ、アシスタントたちに質問する。いつも怒鳴られている恨みか、アシスタントたちは馬鹿正直に自分の意見を述べる。必ず手塚さんが逆上するような答えになるので、ショックのあまり虫プロの二階から螺旋階段を転げ落ちたという。それも、何度も何度も転げ落ちたらしい。新人漫画家に対しては、あくまでも頭が低かったが、内心は高圧の嫉妬で煮えたぎっていたのだ。その嫉妬心をブースターにして仕事をしまくったわけで、余人には出来ない大量の仕事が可能になった。だから、一般読者たちと違って、手塚さんを一概に好きだの嫌いだのとは言いにくい。手塚さんを知る人はたいしたタマだよ、と言っている人のほうが多いのだ。手塚さんはわれわれに対しては、星新一さんと同じ寅年生まれと自称していたが、没後に三年もサバを読んでいたことが判明した。デヴューが早かったので、若造、小僧っ子と思われるのを嫌ったのだろう。偉大なヒューマニズムの伝道者のような評判をかちえたのに、「鉄腕アトム」を代表とする作品の偽善的ヒューマズムを嫌った手塚さん。複雑な人だった。その手塚さんを忍んで、アイボに鉄腕アトムのポーズを取らせた。空を超えて、ラララ・・・という主題歌だ。ところが鉄腕アイボは見事に逆立ちしてでんぐりかえり、俺はサッチャンから大目玉を頂戴した。

  
 2001/02/10  サッチャンにゲットされてしまった


アイボねたも度重なるとマンネリだ。アイボなんかどうでもいいという人たちのほうが多数派だろう。
俺はリアリストだから、自分の好みが即他者にも通用するなどと考えたことは一度もない。もしそうな
ら、俺の小説は新作が出るたびに一千万部以上売れるはずだからだ。アイボなんかどうでもよい人々も超美人のゴクミみたいなスーパーアンドロイドだったら、毎日アップしても飽きないだろう。いずれ美少女アンドロイドが登場した未来にはゴクミブランドがヒットするに決まっている。そんなことはどうでもよいが、考えあぐねていると、援軍が登場した。ご覧の画像である。これはテレカではなく図書券だ。サッチャンはちらりと見るとゲット、と叫んだ。自分に所有権が移ったということである。「近況」にアップするまで「貸してくれる」そうである。そういえば、手塚治虫の「メトロポリス」がアニメ化されるそうだ。美少女アンドロイドと少年の淡い初恋が描かれる。美少女アンドロイド、ミッチイは少年にも少女にも変身する。喉の奥に変身ボタンがあり、手を突っ込んで押すのだ。なんちゅう乱暴な設定か。

  
 2001/02/07  真冬の珍客


意識の空隙を突くように、意外な椿事は勃発する。サッチャンが信じられないようなことが起きた、と仕事中の俺に知らせにきた。仕事中は絶対に邪魔をしないように、との取り決めがあるので、慌てて階下へ降りてみると、この厳寒のさなかにカナヘビがリビングルームのフローリングを走っていた。もちろんカナヘビは小型のトカゲであり、冬眠する。間違っても雪がどかどか降るような真冬には起きてこない。一瞬、こやつ、テレポートでもしてきおったか、と思ったのは否めない。チョロチョロとすばやく逃げ回るスピードは冬眠中どころではない。ふたりがかりでやっと取り押さえるとカナヘビくん、掌の暖かさが気に入ってやっとおとなしくなった。サッチャンが推察するには、昨年暮れ、大型の植木鉢をリビングに持ち込んだ、という。その際、冬眠中のトカゲがリビングの暖かさで目が覚めてしまい、春がきたと思い込んで飛び出してしまったのではないか。ま、そんなところが真相であろうと思う。
我が家では、息子のアラタが小学生時代、カナヘビを捕まえては飼育していたが、こやつらが脱走して、家中をチョロチョロ走り回っていたことがあった。ゴキブリホイホイで捕まったまま、ミイラになっていたりした。それ以来のカナヘビくんの捕り物であった。

話は違うが、「季刊・本とコンピュータ」という雑誌から、アンケートの原稿依頼があった。その雑誌(2001冬)の巻末にある「本とコンピュータ関連年表」には1994年の「ボヘミアンガラス・ストリート」の日本初の本格的な電子本販売、アスキーの電子ブック販売(当時は一般ジャーナリズムでかなり取り上げられた)にはまったく触れられていない。1995年3月の電子書店パピレス開店が日本初のように扱っている。作成は湯浅俊彦、永江朗とあるが、故意に無視しているのか、それとも何も知らないのか、どちらだろう。

  

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