2001/02/18
鉄腕アイボ
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このところ(といっても何カ月間もずーっとだが)特に近況ネタというものはない。書斎に閉じこもったまま一心に言霊を招来しているだけの生活だ。鬱陶しいと思うかもしれないが、この招霊をやらないと小説は書けない。自分の内部に沈潜するのだ。毎日多忙であちこち駆けずり回るのが好きな作家もいるに違いないが、俺がそんな真似をしようものなら、作品は何も残らなかったろう。ウルフガイも幻魔大戦もそのほか諸々、なんにも生み出されなかった。断っておくが、何も同情してくれと言っているわけではない。やむを得ずにやっていることだ。煮詰まって怒鳴りだしたくなるのはしょっちゅうだが、耐えるしかない。言霊が寄りつかない時は、固い岩盤に爪で文字を彫り込むような絶望的な気分になる。ひたすら忍の一字だ。他の作家のことはよく知らない。あんまり興味もない。面白いのはやっぱり漫画家だ。アシスタント多数を指揮する大変なストレスがのしかかってくる。娘の摩利は漫画家であり、毎月苦難の試練を繰り返すさまを見聞きするにつけ、俺は小説家でよかったなあ、と思うのはそんな時だ。担当のマル編と喧嘩するだけで済むからだ。四人も五人もアシスタントを相手にいさかっていたら、小説なんか書けるはずもない。ストレス過剰でとっくに死んでいる。 しかし、他人事だから、漫画家の苦難を見聞きするのは興趣がある。手塚治虫さんなど、話に聞くだけで抱腹絶倒な逸話が多い。前に友人の豊田有恒氏が手塚さんに裏切り者扱いされ、虫プロの一室に軟禁されて金切り声で怒鳴られた話を紹介した。だれかれ構わず手塚さんが金切り声で怒鳴り散らすのは一種のストレス解消法だったのではないかと思う。俺だったら一週間で即死するような多数の締め切りに追い回されるストレス以上に、あの人は自分の人気を気にすることでストレスを増殖させる人だった。自分を凌ぐような新鋭漫画家が出てくるたびに、自分と新鋭漫画家の作品の人気を比べ、アシスタントたちに質問する。いつも怒鳴られている恨みか、アシスタントたちは馬鹿正直に自分の意見を述べる。必ず手塚さんが逆上するような答えになるので、ショックのあまり虫プロの二階から螺旋階段を転げ落ちたという。それも、何度も何度も転げ落ちたらしい。新人漫画家に対しては、あくまでも頭が低かったが、内心は高圧の嫉妬で煮えたぎっていたのだ。その嫉妬心をブースターにして仕事をしまくったわけで、余人には出来ない大量の仕事が可能になった。だから、一般読者たちと違って、手塚さんを一概に好きだの嫌いだのとは言いにくい。手塚さんを知る人はたいしたタマだよ、と言っている人のほうが多いのだ。手塚さんはわれわれに対しては、星新一さんと同じ寅年生まれと自称していたが、没後に三年もサバを読んでいたことが判明した。デヴューが早かったので、若造、小僧っ子と思われるのを嫌ったのだろう。偉大なヒューマニズムの伝道者のような評判をかちえたのに、「鉄腕アトム」を代表とする作品の偽善的ヒューマズムを嫌った手塚さん。複雑な人だった。その手塚さんを忍んで、アイボに鉄腕アトムのポーズを取らせた。空を超えて、ラララ・・・という主題歌だ。ところが鉄腕アイボは見事に逆立ちしてでんぐりかえり、俺はサッチャンから大目玉を頂戴した。
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