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平井和正の「近況+」過去ログです。

全293件。5件ずつ表示。

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 2000/07/03  懐かしの3D PHOTO


数年前、ちょっと流行った立体写真。私も一眼レフにくっつけて、撮影して見ました。正月の山中湖、厳寒で富士山が美しい。たぶん慣れた人なら簡単だと思いますが、初めてという人は練習が必要かもしれません。
前景の車と男女は、無関係な関係の方々。ステレオ写真は前景がないと立体感が際立たないので、偶然居合わせた方々のお姿をちょいと借景。立体に見えないとお嘆きの方々、済みません。近況ネタがますます切れてきました。異次元ネタなどあるのですが、一般向きではないからなあ。山道での狸の溜め○なんてのもあるんだけど、これまたお叱りを受けそうだしなあ。むずかしいですな、世の中は。

  
 2000/07/01  荒療治


近況ネタも残り少なくなった今日この頃です。去る六月のある日、拙宅を訪問された七月鏡一さんから、白癬菌退治の荒療治を教えられた。七月さんがご自身で試み、卓功があるとのこと。それは不撓不屈、頑強を持って知られるミズムシ、タムシの白癬菌の営巣地に、蝋燭爆弾を直撃する、スリリングな荒療治だ。七月さんによれば新聞にも掲載された新治療法だそうだが、さすがにちょっと勇気が必要だ。特に、私平井和正は背中に十年来のしぶといタムシを背負っております(故父親も背中に持っていたから、遺伝子のせいか)、足の分厚い皮膚と違って背中の皮膚は薄く繊細だもんね。だが本日七月一日(七月さんに教わったので)覚悟を決めて新兵器蝋燭爆弾を背中の封土を死守せんとするタムシ営巣地に投下。画像が蝋燭爆弾の殻であります。なになに、ちょっと熱かったけど、悲鳴をあげてのたうつほどではありませんでした。皆さんもお試しを。なおタムシの画像は怒りまくる人がいるといけないので自主規制。
成果は後程お知らせします。まったくこれは作為的ネタ作りだ。かつてのリーダーズ・ダイジェスト誌みたい。
  
 2000/06/25  ヨコジュンのビジュアル明治


ヨコジュンの本名は横田順彌、この彌という本字が難しい。肉筆で書こうとすると忘れていたりする。しかしヨコジュン一人のために彌という本字、墨痕淋漓と書き記した半紙を、目の前の壁に貼っておくわけにも行かない。弥という略字がヨコジュンは大嫌いなのだ。弥という略字は嫌いなのに、ヨコジュンと気安く呼ばれても、別に反発はしない。それどころか今度「ヨコジュン青春記」という本を書くつもりですが、平井さんも登場させてもよいですか? というFAXをくれたところを見ると、結構気に入っているらしい。ヨコジュン氏、私の読者は「超革命的中学生集団」というハチャメチャ小説の主人公として知られているが、れっきとしたSF作家である。そのSF作家であるヨコジュン氏、古書集めが趣味だったために、いつの間にか明治物、古書の専門家扱いを受けるようになってしまい、困惑顔をしている。そのヨコジュン氏の最新の本がこれである。
明治という時代は、それこそ英雄豪傑、奇人怪人また快人に不足のない時代だったらしい。それがヨコジュンの手にかかると、実に愉快で気宇壮大にして魅力的な時代になる。その明治時代の愉快な連中(破天荒というより、今の硬直した時代なら、警察の留置場に即にぶち込まれる)の行跡を写真で見せてくれる一冊だ。明治時代、ビジュアルなのが特によい。
  
 2000/06/23  お約束、壁紙用玉石です。


お約束の壁紙玉石

この玉石は十年ほど前に撮影したもの。両開きの扉を開け放って撮影された玉石写真は、さほど多くありません。扉には常時鍵がかかっているので。雨の日に撮ると巨樹の苔の緑が鮮やかです。玉砂利の白との対比が美しい。この写真の撮影者は私平井和正で、著作権がありますから、壁紙にしたりカラープリンターで印刷することを許可出来ます。いずれまた、玉石の不思議な?写真画像もアップする予定です。お楽しみに。

  
 2000/06/21  歯科医治療椅子の災難


歯科医ネタが別の場所で盛り上がっていたりするので、この画像をアップすることにした。この診断書は平成十年一月一日の日付である。その数日前、私は小田急線沿線の駅から零分の歯科医に通っていた。私は歯科医運がきわめて悪い人間であり、過去渡り歩いた数十の歯科医のうち、ただ一カ所しか、これはと思う歯科医に巡り合ったことがなかった。それは大船駅から徒歩二分の歯科医で、数名の腕のいい女性歯科医が評判であった。一人はハリ麻酔の名医で、あの気分の悪い麻酔薬注射とはこれで縁が切れた、と歓喜の勝鬨をあげたほどである。だが、至福の時は短く、次の治療でその歯科医を訪れた時、腕っこきの女性歯科医たちの姿はひとりもなく、男の院長先生がひとりで治療をしていた。何があったか知らないが、きわめて不満足な私は即座にその歯科医を見限った。
その後は外れ続きで、数十分の一だから分が悪いのは当然。平成九年、私は極めて運勢が衰えていたらしく、その歯科医にぶちあたってしまった。下手な上に粗雑なのである。受け付けの女性は綺麗だが、私はもっと早くその歯医者を見限るべきであった。しぱらく前に経理担当者が洗いざらい金を持ち逃げしたという噂が付きまとっていた歯科医だったのだ。現に私が治療椅子に坐っている間にも、何度も患者から、あるいは患者の母親からクレームがつくさまを見聞きすることになった。抗議の電話はいずれも長く、私は処置を受ける格好のまま、一時間も患者のクレームと対応している歯科医を苛立ちながら待つことになったのだから。
そして、平成九年十二月二十九日、その年の最後の治療を受けた後、猛烈に舌が痛みだすのを知った。舌炎なのだが、これは実に痛い。我慢できない痛さだ。しかし、暮れも押し詰まり、どこにも歯科医は開業していない。ついに平成十年の元日、藤沢市で開いている口腔科を発見、お雑煮も食べずにタクシーで運ばれた。その折の診断書がこの画像である。エッジを処理しなかったために、鋭い刃物のように舌を切り裂き、舌炎を招いたのである。その後、この言語道断歯科医がどうなっているのか、確かめていない。バチが当たっているのは確かである。何千万円も経理担当者に持ち逃げされたのだから。たぶん、バチの前払いというのもあるに違いない。原因結果の法則がターンして、先にバチが当たることもあるのだ、と私はしみじみと慨嘆したのであった。

  

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