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平井和正の「近況+」過去ログです。

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 2000/06/25  ヨコジュンのビジュアル明治


ヨコジュンの本名は横田順彌、この彌という本字が難しい。肉筆で書こうとすると忘れていたりする。しかしヨコジュン一人のために彌という本字、墨痕淋漓と書き記した半紙を、目の前の壁に貼っておくわけにも行かない。弥という略字がヨコジュンは大嫌いなのだ。弥という略字は嫌いなのに、ヨコジュンと気安く呼ばれても、別に反発はしない。それどころか今度「ヨコジュン青春記」という本を書くつもりですが、平井さんも登場させてもよいですか? というFAXをくれたところを見ると、結構気に入っているらしい。ヨコジュン氏、私の読者は「超革命的中学生集団」というハチャメチャ小説の主人公として知られているが、れっきとしたSF作家である。そのSF作家であるヨコジュン氏、古書集めが趣味だったために、いつの間にか明治物、古書の専門家扱いを受けるようになってしまい、困惑顔をしている。そのヨコジュン氏の最新の本がこれである。
明治という時代は、それこそ英雄豪傑、奇人怪人また快人に不足のない時代だったらしい。それがヨコジュンの手にかかると、実に愉快で気宇壮大にして魅力的な時代になる。その明治時代の愉快な連中(破天荒というより、今の硬直した時代なら、警察の留置場に即にぶち込まれる)の行跡を写真で見せてくれる一冊だ。明治時代、ビジュアルなのが特によい。
  
 2000/06/23  お約束、壁紙用玉石です。


お約束の壁紙玉石

この玉石は十年ほど前に撮影したもの。両開きの扉を開け放って撮影された玉石写真は、さほど多くありません。扉には常時鍵がかかっているので。雨の日に撮ると巨樹の苔の緑が鮮やかです。玉砂利の白との対比が美しい。この写真の撮影者は私平井和正で、著作権がありますから、壁紙にしたりカラープリンターで印刷することを許可出来ます。いずれまた、玉石の不思議な?写真画像もアップする予定です。お楽しみに。

  
 2000/06/21  歯科医治療椅子の災難


歯科医ネタが別の場所で盛り上がっていたりするので、この画像をアップすることにした。この診断書は平成十年一月一日の日付である。その数日前、私は小田急線沿線の駅から零分の歯科医に通っていた。私は歯科医運がきわめて悪い人間であり、過去渡り歩いた数十の歯科医のうち、ただ一カ所しか、これはと思う歯科医に巡り合ったことがなかった。それは大船駅から徒歩二分の歯科医で、数名の腕のいい女性歯科医が評判であった。一人はハリ麻酔の名医で、あの気分の悪い麻酔薬注射とはこれで縁が切れた、と歓喜の勝鬨をあげたほどである。だが、至福の時は短く、次の治療でその歯科医を訪れた時、腕っこきの女性歯科医たちの姿はひとりもなく、男の院長先生がひとりで治療をしていた。何があったか知らないが、きわめて不満足な私は即座にその歯科医を見限った。
その後は外れ続きで、数十分の一だから分が悪いのは当然。平成九年、私は極めて運勢が衰えていたらしく、その歯科医にぶちあたってしまった。下手な上に粗雑なのである。受け付けの女性は綺麗だが、私はもっと早くその歯医者を見限るべきであった。しぱらく前に経理担当者が洗いざらい金を持ち逃げしたという噂が付きまとっていた歯科医だったのだ。現に私が治療椅子に坐っている間にも、何度も患者から、あるいは患者の母親からクレームがつくさまを見聞きすることになった。抗議の電話はいずれも長く、私は処置を受ける格好のまま、一時間も患者のクレームと対応している歯科医を苛立ちながら待つことになったのだから。
そして、平成九年十二月二十九日、その年の最後の治療を受けた後、猛烈に舌が痛みだすのを知った。舌炎なのだが、これは実に痛い。我慢できない痛さだ。しかし、暮れも押し詰まり、どこにも歯科医は開業していない。ついに平成十年の元日、藤沢市で開いている口腔科を発見、お雑煮も食べずにタクシーで運ばれた。その折の診断書がこの画像である。エッジを処理しなかったために、鋭い刃物のように舌を切り裂き、舌炎を招いたのである。その後、この言語道断歯科医がどうなっているのか、確かめていない。バチが当たっているのは確かである。何千万円も経理担当者に持ち逃げされたのだから。たぶん、バチの前払いというのもあるに違いない。原因結果の法則がターンして、先にバチが当たることもあるのだ、と私はしみじみと慨嘆したのであった。

  
 2000/06/20  わが仕事場の玉置山の写真


玉置山の画像がどこかに隠れてしまい、なかなか発見できないので、仕事部屋の壁を飾っている写真をお目にかけることにした。やはり角川春樹氏の揮毫した色紙同様、天井に近い高みから、仕事中の私を見下ろしている。春樹氏は十年ほど前まで、玉置山に通っていたが、突如ぱたっと止めた。その時期はちょうど私が玉置山通いを始めるのとクロスしていた。つまり入れ代わり、ということになる。
この写真の額を掲げるまで、私の仕事部屋はラップ音が凄まじかった。やたらにべきべきみしみしと屋なり鳴動し、とろとろと眠りかけたとたんどかん、と烈しい衝撃音で目が覚める。うちのカミさんが私の留守中に、ベッドで昼寝を試みたところあまりの音響の恐ろしさに慌てて逃げ出すほど。なにか怪しからんものが勝手に仕事場に棲みついていたようだ。
それが、この写真の額を掲げたとたんに、ぴたっと止んだ。以来十年間、ラップ音が復活したことはない。霊験あらたかと世間では言っている。玉置山の神様はユニークだと思う。玉置山の中心、玉石の写真は沢山の人々が撮っているのだが、話によると、撮影者の霊的フォースに応じたパワーしか、玉石の写真からは出て来ないという。霊力のない撮影者の写真はただの石。霊的フォースの強い撮影者の写真は、仕事場に棲みついた怪しからんものを追い払う。それをどうやって計測するかと云うと、霊眼の持ち主は見ただけでわかるらしいが、生憎そんな能力はだれでも持っているわけではない。ダウジングで計測できると話に聞いて、私も試してみた。以前、玉置山の主と云われたほどの人物の撮影した写真はほとんど反応ゼロ。有名なプロのフォトグラファーの撮影した写真のほうがパワーがあった。何人かの撮影した写真は、まちまちな反応が出た。玉置山の主の写真はいつまでもゼロ反応。かつては霊力があったこの人物、今ではただの人になってしまったと話に聞いている。もし自分にダウジングの能力がある、という人は、この画像で試して見ると面白いかも。
結論。玉石の写真、魔よけになるのは確かだが、写真を撮影した人次第のパワーしか出ない。ただ玉石だというだけで、パワーは出て来ないのである。

  
 2000/06/17  角川春樹氏の色紙


角川春樹氏との縁、深浅は知らないが、十数年前、霊夢を幾晩も立て続けに見たことがあり、それは未来予知夢でもあったようだ。巨大なタワーが限界角度を超えて傾いており、周囲にはSF作家たちが群れている。その夢は日本SF界の長期低落を意味する夢だとすぐにわかった。日本SFがまだ健在だった頃の話である。角川春樹氏の場合は、彼が顔に多数の傷を負っている夢で、果たしてその夢も現実化した。いったん角川書店と縁が切れたが、角川春樹事務所で再起した角川春樹氏との縁はハルキ文庫で復活。十数年前より更に波動は強く、元気一杯だ。夢で見た傷は完治したらしい。その折、別れ際に揮毫された色紙をお目にかける。なにかさらりと解脱した春樹氏らしい句ではないか。余人にはこんな巨大スケールの句は無理だろう。この色紙は私の仕事場の壁の上から、私を見下ろしている。
  

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