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平井和正の「近況+」過去ログです。

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 2000/06/21  歯科医治療椅子の災難


歯科医ネタが別の場所で盛り上がっていたりするので、この画像をアップすることにした。この診断書は平成十年一月一日の日付である。その数日前、私は小田急線沿線の駅から零分の歯科医に通っていた。私は歯科医運がきわめて悪い人間であり、過去渡り歩いた数十の歯科医のうち、ただ一カ所しか、これはと思う歯科医に巡り合ったことがなかった。それは大船駅から徒歩二分の歯科医で、数名の腕のいい女性歯科医が評判であった。一人はハリ麻酔の名医で、あの気分の悪い麻酔薬注射とはこれで縁が切れた、と歓喜の勝鬨をあげたほどである。だが、至福の時は短く、次の治療でその歯科医を訪れた時、腕っこきの女性歯科医たちの姿はひとりもなく、男の院長先生がひとりで治療をしていた。何があったか知らないが、きわめて不満足な私は即座にその歯科医を見限った。
その後は外れ続きで、数十分の一だから分が悪いのは当然。平成九年、私は極めて運勢が衰えていたらしく、その歯科医にぶちあたってしまった。下手な上に粗雑なのである。受け付けの女性は綺麗だが、私はもっと早くその歯医者を見限るべきであった。しぱらく前に経理担当者が洗いざらい金を持ち逃げしたという噂が付きまとっていた歯科医だったのだ。現に私が治療椅子に坐っている間にも、何度も患者から、あるいは患者の母親からクレームがつくさまを見聞きすることになった。抗議の電話はいずれも長く、私は処置を受ける格好のまま、一時間も患者のクレームと対応している歯科医を苛立ちながら待つことになったのだから。
そして、平成九年十二月二十九日、その年の最後の治療を受けた後、猛烈に舌が痛みだすのを知った。舌炎なのだが、これは実に痛い。我慢できない痛さだ。しかし、暮れも押し詰まり、どこにも歯科医は開業していない。ついに平成十年の元日、藤沢市で開いている口腔科を発見、お雑煮も食べずにタクシーで運ばれた。その折の診断書がこの画像である。エッジを処理しなかったために、鋭い刃物のように舌を切り裂き、舌炎を招いたのである。その後、この言語道断歯科医がどうなっているのか、確かめていない。バチが当たっているのは確かである。何千万円も経理担当者に持ち逃げされたのだから。たぶん、バチの前払いというのもあるに違いない。原因結果の法則がターンして、先にバチが当たることもあるのだ、と私はしみじみと慨嘆したのであった。

  
 2000/06/20  わが仕事場の玉置山の写真


玉置山の画像がどこかに隠れてしまい、なかなか発見できないので、仕事部屋の壁を飾っている写真をお目にかけることにした。やはり角川春樹氏の揮毫した色紙同様、天井に近い高みから、仕事中の私を見下ろしている。春樹氏は十年ほど前まで、玉置山に通っていたが、突如ぱたっと止めた。その時期はちょうど私が玉置山通いを始めるのとクロスしていた。つまり入れ代わり、ということになる。
この写真の額を掲げるまで、私の仕事部屋はラップ音が凄まじかった。やたらにべきべきみしみしと屋なり鳴動し、とろとろと眠りかけたとたんどかん、と烈しい衝撃音で目が覚める。うちのカミさんが私の留守中に、ベッドで昼寝を試みたところあまりの音響の恐ろしさに慌てて逃げ出すほど。なにか怪しからんものが勝手に仕事場に棲みついていたようだ。
それが、この写真の額を掲げたとたんに、ぴたっと止んだ。以来十年間、ラップ音が復活したことはない。霊験あらたかと世間では言っている。玉置山の神様はユニークだと思う。玉置山の中心、玉石の写真は沢山の人々が撮っているのだが、話によると、撮影者の霊的フォースに応じたパワーしか、玉石の写真からは出て来ないという。霊力のない撮影者の写真はただの石。霊的フォースの強い撮影者の写真は、仕事場に棲みついた怪しからんものを追い払う。それをどうやって計測するかと云うと、霊眼の持ち主は見ただけでわかるらしいが、生憎そんな能力はだれでも持っているわけではない。ダウジングで計測できると話に聞いて、私も試してみた。以前、玉置山の主と云われたほどの人物の撮影した写真はほとんど反応ゼロ。有名なプロのフォトグラファーの撮影した写真のほうがパワーがあった。何人かの撮影した写真は、まちまちな反応が出た。玉置山の主の写真はいつまでもゼロ反応。かつては霊力があったこの人物、今ではただの人になってしまったと話に聞いている。もし自分にダウジングの能力がある、という人は、この画像で試して見ると面白いかも。
結論。玉石の写真、魔よけになるのは確かだが、写真を撮影した人次第のパワーしか出ない。ただ玉石だというだけで、パワーは出て来ないのである。

  
 2000/06/17  角川春樹氏の色紙


角川春樹氏との縁、深浅は知らないが、十数年前、霊夢を幾晩も立て続けに見たことがあり、それは未来予知夢でもあったようだ。巨大なタワーが限界角度を超えて傾いており、周囲にはSF作家たちが群れている。その夢は日本SF界の長期低落を意味する夢だとすぐにわかった。日本SFがまだ健在だった頃の話である。角川春樹氏の場合は、彼が顔に多数の傷を負っている夢で、果たしてその夢も現実化した。いったん角川書店と縁が切れたが、角川春樹事務所で再起した角川春樹氏との縁はハルキ文庫で復活。十数年前より更に波動は強く、元気一杯だ。夢で見た傷は完治したらしい。その折、別れ際に揮毫された色紙をお目にかける。なにかさらりと解脱した春樹氏らしい句ではないか。余人にはこんな巨大スケールの句は無理だろう。この色紙は私の仕事場の壁の上から、私を見下ろしている。
  
 2000/06/16  山田章博画伯の傑作


漫画家の山田章博さんから新刊を献本された。山田さんの場合、お近づきになってすぐに山田画伯と敬称を奉ったのだが、漫画家の場合は普通、80%の力で作品を描くため、画伯とは呼びにくい。そこが漫画家の特殊性であって、100%の力を投入すれば、すぐに夭折してしまう。締め切りに追われて大量のコマを日常的に描いて行く漫画家にそこまで求めるのは酷である。山田さんに「地球樹の女神」のイラストを描いて戴いて、私は満足感を心ゆくまで味わった。以来、私は山田画伯とお呼びすることになった。山田画伯にイラストを描いて貰えた小説家は仕合わせである。滅多にないことだからだ。当時から山田画伯は病身の身で、大量の絵を制作する態勢にはなかったようだ。筆禍事件の多い私は、K書店と改竄問題でもめて、全作品を引き上げることになった。山田画伯は私の引っ越し先のT書店で再刊した時にも付き合って下さったのだが、病いに倒れて、途中から泉谷あゆみさんが後を引き継いだ。「泉谷さんなら絶対に大丈夫、安心です」と山田画伯が言ってくださり、それが心の支えになった。何といっても泉谷あゆみさんはまだ十代だったのだから。
アップした画像は、山田画伯の大長編。上下二巻に分冊されて刊行されたのを覚えているが、私は上巻しか見覚えがない。本当に下巻は刊行されたのだろうか。今回分厚い装幀で刊行された「ラスト・コンチネント」文字通り嘗めるように各頁を楽しんだ。漫画はどんどん頁をめくらせるものだが、さすがは山田画伯、そんな読み方はもったいなさすぎる。当時奥様から戴いたお便りによると、この作品の総頁数は、数倍に達したらしい。それをどんどん刈り込んでもこんな分厚さ。こんな言い方は、ご本人に忌避されるかもしれないが、私としては珠玉の漫画家と呼びたい。珠玉とあれば、寡作なのは致し方ないのだろう。
  
 2000/06/13  本日到着アダルトウルフガイ七弾の見本でございます。


1960年代末期、最初のウルフガイ小説を書いた時、アダルトという英語には、スケベとかインランというワイセツ語の語感は皆無だった。ポルノという言葉すら、一般人は耳なじみがなかった。エロと云わなければだれにもわからない時代だったのだ。
ポルノビデオ産業が起こって、色情を商品化した連中が、アダルトという英語を、エロと同義に仕向けたのだ。神よ、彼らを呪ってください。アダルトウルフガイが変な目で人々に見られるようになったのは一重にこいつらのせいなのです。エイトマンというエロビデオ企業まで出現した。エイトマンだと? 南無八幡、というくらいで、八幡さまは武神でおっかない神様だ。もとを辿るとエホバに行き着くのだから、無事には済まない。神罰というのは本当にあるのだ。そしてアダルトウルフガイ、犬神明は、移動式神の依代と呼ばれている。すなわち彼こそバチガミさまだったのだ。彼とかかわりあうワルモノどもがみんな滅びたのは当然である。
そのアダルトウルフガイ物語が、ハルキ文庫で出ている。その最新刊の表紙をお目にかけましょう。泉谷あゆみ画伯の描くアダルト氏、なかなかハンサムです。この画面の中心にいる美少女は、私の全作品の中でもダントツの美少女でしかも邪悪。瞳が赤いのは邪悪の証でしょうか。六月十八日発売だそうです。手に入りにくいのはすばやく書店から姿を消してしまうせいらしい。最近では各社とも営業部が極限まで部数を絞るので、いつまでも書店に残っているのは売れない本だとか。売れる本は部数が少ないので、足が早いのです。お買い求めはお早めにどうぞ。
  

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