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平井和正の「近況+」過去ログです。

全293件。5件ずつ表示。

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 2000/06/17  角川春樹氏の色紙


角川春樹氏との縁、深浅は知らないが、十数年前、霊夢を幾晩も立て続けに見たことがあり、それは未来予知夢でもあったようだ。巨大なタワーが限界角度を超えて傾いており、周囲にはSF作家たちが群れている。その夢は日本SF界の長期低落を意味する夢だとすぐにわかった。日本SFがまだ健在だった頃の話である。角川春樹氏の場合は、彼が顔に多数の傷を負っている夢で、果たしてその夢も現実化した。いったん角川書店と縁が切れたが、角川春樹事務所で再起した角川春樹氏との縁はハルキ文庫で復活。十数年前より更に波動は強く、元気一杯だ。夢で見た傷は完治したらしい。その折、別れ際に揮毫された色紙をお目にかける。なにかさらりと解脱した春樹氏らしい句ではないか。余人にはこんな巨大スケールの句は無理だろう。この色紙は私の仕事場の壁の上から、私を見下ろしている。
  
 2000/06/16  山田章博画伯の傑作


漫画家の山田章博さんから新刊を献本された。山田さんの場合、お近づきになってすぐに山田画伯と敬称を奉ったのだが、漫画家の場合は普通、80%の力で作品を描くため、画伯とは呼びにくい。そこが漫画家の特殊性であって、100%の力を投入すれば、すぐに夭折してしまう。締め切りに追われて大量のコマを日常的に描いて行く漫画家にそこまで求めるのは酷である。山田さんに「地球樹の女神」のイラストを描いて戴いて、私は満足感を心ゆくまで味わった。以来、私は山田画伯とお呼びすることになった。山田画伯にイラストを描いて貰えた小説家は仕合わせである。滅多にないことだからだ。当時から山田画伯は病身の身で、大量の絵を制作する態勢にはなかったようだ。筆禍事件の多い私は、K書店と改竄問題でもめて、全作品を引き上げることになった。山田画伯は私の引っ越し先のT書店で再刊した時にも付き合って下さったのだが、病いに倒れて、途中から泉谷あゆみさんが後を引き継いだ。「泉谷さんなら絶対に大丈夫、安心です」と山田画伯が言ってくださり、それが心の支えになった。何といっても泉谷あゆみさんはまだ十代だったのだから。
アップした画像は、山田画伯の大長編。上下二巻に分冊されて刊行されたのを覚えているが、私は上巻しか見覚えがない。本当に下巻は刊行されたのだろうか。今回分厚い装幀で刊行された「ラスト・コンチネント」文字通り嘗めるように各頁を楽しんだ。漫画はどんどん頁をめくらせるものだが、さすがは山田画伯、そんな読み方はもったいなさすぎる。当時奥様から戴いたお便りによると、この作品の総頁数は、数倍に達したらしい。それをどんどん刈り込んでもこんな分厚さ。こんな言い方は、ご本人に忌避されるかもしれないが、私としては珠玉の漫画家と呼びたい。珠玉とあれば、寡作なのは致し方ないのだろう。
  
 2000/06/13  本日到着アダルトウルフガイ七弾の見本でございます。


1960年代末期、最初のウルフガイ小説を書いた時、アダルトという英語には、スケベとかインランというワイセツ語の語感は皆無だった。ポルノという言葉すら、一般人は耳なじみがなかった。エロと云わなければだれにもわからない時代だったのだ。
ポルノビデオ産業が起こって、色情を商品化した連中が、アダルトという英語を、エロと同義に仕向けたのだ。神よ、彼らを呪ってください。アダルトウルフガイが変な目で人々に見られるようになったのは一重にこいつらのせいなのです。エイトマンというエロビデオ企業まで出現した。エイトマンだと? 南無八幡、というくらいで、八幡さまは武神でおっかない神様だ。もとを辿るとエホバに行き着くのだから、無事には済まない。神罰というのは本当にあるのだ。そしてアダルトウルフガイ、犬神明は、移動式神の依代と呼ばれている。すなわち彼こそバチガミさまだったのだ。彼とかかわりあうワルモノどもがみんな滅びたのは当然である。
そのアダルトウルフガイ物語が、ハルキ文庫で出ている。その最新刊の表紙をお目にかけましょう。泉谷あゆみ画伯の描くアダルト氏、なかなかハンサムです。この画面の中心にいる美少女は、私の全作品の中でもダントツの美少女でしかも邪悪。瞳が赤いのは邪悪の証でしょうか。六月十八日発売だそうです。手に入りにくいのはすばやく書店から姿を消してしまうせいらしい。最近では各社とも営業部が極限まで部数を絞るので、いつまでも書店に残っているのは売れない本だとか。売れる本は部数が少ないので、足が早いのです。お買い求めはお早めにどうぞ。
  
 2000/06/13  スーパー老人田村さんから献本された


スーパー老人田村さんから自著がどかっと送られてきた。私のホームページで、田村さん特集をやらせて戴いた、と伝えたところ、折り返し返事があって、現況を教えられた。田村さん、昔は公官庁にコンピュータを納品したこともあるのに、学友のせいでコンピュータ・コンプレックスに陥ったのだそうだ。なぜかというと、富士通や日立のコンピュータ開発に尽力したようなエライさんばかりで、やる気を無くしたらしい。まあ、そんなことおっしゃらず、八十路でも遅くはありません。ウチのかみさんがわたしですらコンピュータをやってますよ、と言葉を添えておりますぞ。
さて、贈られたのは古代史物ばかりで、健康関連のものはない。健康、健康でうんざりしている方もおいでらしい。しかし、死んだら命は無くなるし、田村さんのように八十路でもピンシャンして著作に励むことも出来ないのだから、やっぱり健康はアルファにしてオメガだと思うのだが如何?

生憎、私は古代史に弱い。てゆーか、これまでの古代史、いくら読めども面白さを覚えなかった。学者先生のボーンヘッドぶりが大嫌いなのである。素人にもわかる面白さを与えるのが、プロってもんで、学者なんかその非才ぶりを見るとシロート以下である。
田村さんの著作は実にわかりやすい。論拠をどんどん列挙して、ボーンヘッドの学者さんに迫る。しかし、素人衆の田村さんに言い負かされては大変、学者たちは完全無視を決め込むのである。情けねえな、おめーら。プロの作家だって、アマチュアの凄い作品を読まされたらシャッポを素直に脱ぐんだぜ。
だから、私は学者指向の小松左京の京大人文研への傾斜ぶりに大いに反発した。学者センセイに自分の小説読ませてどうしようっての? 相手は素人なんか最初から相手にしてないのに。

そんなわけで私の学者連中(特に日本の学者)への評価は甚だ低い。自分の師匠の箱庭の中で自説を終始させないと、師匠に破門されたりして、出世は不可能になるのである。そんな莫迦な連中が仕切ってる日本古代史、時間の浪費だから読めないのだ。
田村さん、科学者だけあって、頭がハチャハチャな古代史を縦横無尽に斬ってしまう。論拠は整然。反論できないので、無視するしかない学者たち、お気の毒であります。後世の史家が云うことは決まっている。曰く、無能なり。

  
 2000/06/13  投稿少年だった赤塚不二夫と私平井和正


1950年代、私が小学生から中学生にかけて、現在の超有名漫画家を投稿少年にした少年漫画雑誌があった。それがご覧に入れる「漫画少年」である。手塚治虫に上京を決心させ「ジャングル大帝」を連載させた幻の「漫画少年」、国会図書館にもわずか四冊しか在庫がないという。
藤子不二雄、石ノ森章太郎(当時は小野寺章太郎)赤塚不二夫などが投稿少年の頃、私、平井和正も小学校六年にして投稿少年の仲間入りをした。この漫画少年、漫画家だけでなく作家、画家、イラストレーターの大御所たちが投稿の常連だった。筒井康隆、眉村卓、横尾忠則などなど。
この写真は後年、投稿少年たちの世話をした寺田ヒロオ氏(物故された)が、「漫画少年」の軌跡を残そうと苦労された目録、代表作品復刻版である。その投稿少年から漫画家への推移は映画「トキワ荘の青春」に描かれている。私など五、六回も繰り返して、ビデオに見入ってしまった。赤塚不二夫が編集者に、漫画を諦めるように言い渡されるシーンは圧巻。だれかさんにそっくりじゃないか、君には個性がない・・・そのだれかとは無論、手塚治虫であり、投稿少年の大部分はだれかさんにそっくりであり、ほかならぬ私自身もそうだったのである。この復刻版には投稿時代の赤塚不二夫のハガキマンガが載っているのだが、発掘作戦で発見した私自身のハガキマンガは、赤塚不二夫の絵にそっくりで、私はしばらく物思いに耽ったのであった。赤塚不二夫となら競争する自信があったのだ。目標としたのが、天才少年石ノ森章太郎だったのが、間違いのもとでしたな。

現在、近況は水曜日と土曜日に更新が多いらしいのだが、今週以後、スケジュールが立て込んできたので、本日のアップとなった。
  

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