2000/06/13
投稿少年だった赤塚不二夫と私平井和正
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1950年代、私が小学生から中学生にかけて、現在の超有名漫画家を投稿少年にした少年漫画雑誌があった。それがご覧に入れる「漫画少年」である。手塚治虫に上京を決心させ「ジャングル大帝」を連載させた幻の「漫画少年」、国会図書館にもわずか四冊しか在庫がないという。 藤子不二雄、石ノ森章太郎(当時は小野寺章太郎)赤塚不二夫などが投稿少年の頃、私、平井和正も小学校六年にして投稿少年の仲間入りをした。この漫画少年、漫画家だけでなく作家、画家、イラストレーターの大御所たちが投稿の常連だった。筒井康隆、眉村卓、横尾忠則などなど。 この写真は後年、投稿少年たちの世話をした寺田ヒロオ氏(物故された)が、「漫画少年」の軌跡を残そうと苦労された目録、代表作品復刻版である。その投稿少年から漫画家への推移は映画「トキワ荘の青春」に描かれている。私など五、六回も繰り返して、ビデオに見入ってしまった。赤塚不二夫が編集者に、漫画を諦めるように言い渡されるシーンは圧巻。だれかさんにそっくりじゃないか、君には個性がない・・・そのだれかとは無論、手塚治虫であり、投稿少年の大部分はだれかさんにそっくりであり、ほかならぬ私自身もそうだったのである。この復刻版には投稿時代の赤塚不二夫のハガキマンガが載っているのだが、発掘作戦で発見した私自身のハガキマンガは、赤塚不二夫の絵にそっくりで、私はしばらく物思いに耽ったのであった。赤塚不二夫となら競争する自信があったのだ。目標としたのが、天才少年石ノ森章太郎だったのが、間違いのもとでしたな。
現在、近況は水曜日と土曜日に更新が多いらしいのだが、今週以後、スケジュールが立て込んできたので、本日のアップとなった。
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