2005/12/31
2005年の回顧と反省
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年を取ると、見るほどのものは見つ、という気分になりやすいらしい。さほど老人でもない人の口からその言葉を聞いて、愕いたことがある。大抵のことは経験したから、もうそろそろお迎えがきてもよい、といったところだろうに。 やはりそれは見くびったものの考え方のように思える。ええっ、と驚愕したのが振り子の教えである。単に水漏れを発見するのが振り子の目的ではなかった。温泉探しや地下水脈の危険を避けるのだけが振り子の使命ではなかった。 振り子という存在とやや真剣に対峙した昨年、小泉首相に関する事象が完璧に振り子により示されたとき、こんなこともあるのかなあ、とやや他人事のように思った。 で、富士山大爆発は当分なし。関東大地震も当分なし。と振り子は語っている。社会情勢はやや悪化。ずばり振り子に質問したことは他にもあるのだが、公開できない。 あ、こんなことを書いていると、占い師みたいになってしまう。ズバリいうわよの変なおばさんのご託宣は全部うそだそうである。異論があるひとは宇宙意志までどう ぞ。
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