2005/02/01
月光魔術團、ボヘミアンガラス、そして……
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今春、携帯小説が本格的にスタートする。わがe文庫もいよいよ出陣である。画面は、満を持してだれが読んでもゼッタイに面白い、と作家自身が壮語する「月光魔術團」であるのは当然。この作品はヤングウルフガイ・シリーズでもあるわけだが、そんなことを忘れるくらい面白い。ああ、じいさんになると恥も外聞も忘れるのだな、などといってはいけないぞ。 だいたいにおいて作家は自作品を(純文学作家は除く)一つぐらい大衆の皆さんに覚えて貰えば大成功の生涯といえる。大抵は全部忘れ去られる。三途の川に捨てられてしまうのである。作家が生きているうちに、完全に忘れ去られるのはとても辛いものがある。しかし、それが古(いにしえ)からの約束事である。 私は、若い時分からその法則を心得ていた。本はすべてパルプとなって死灰のように消えていく。なんとかして自作品を残す方法はないか。 これはぶちまけてしまうが、そんなことを考える作家さんは私以外一人もいなかったと断言してしまおう。 自分の著書は永遠に残る、とそうした方々は不逞にも確信していたのだ。ああ、なんという傲慢さ! いまはその方々の著書は新刊書店の棚のどこにも見当たらない。図書館にあると思ったら大間違い。図書館ですらも古い本はみんな処分してしまうのである。汚らしいパルプになってしまうからだ。 自作品は永遠に残る、と確信していた作家さんたちは、自分の本棚に残っているだけ、と気がつかねばならなくなった。 私は十年前、1995年に、初めて電子出版を手がけた。そのとき、作家さんたちはそれを無視したのである。平井和正が変なことを始めたらしい、と噂していただけだった。 私は素晴らしくカラフルなイラストに彩られた「月光魔術團」を超小型ノートに仕込み、作家たちの集まりに出かけて披露したが、だれも興味を持たなかった。本当に洟も引っ掛けて貰えなかったのである。 これは愚痴をいっているのではない。嘆いているのである。SF作家ともあろう、未来に対して一見識あるはずの作家たちがなにひとつ未来における自分の立場を見通せなかったことを嘆いているのである。 これはとても悲しい話なのだ。すごく悲しい。一つの時代がお湯をかけられた砂糖菓子のように跡形もなく滅び去っていく、そんなイメージを与える物語だからである。
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