『マル由闘病記』その1

これから皆さんに読んで戴く『マル由闘病記』は、故石田由紀夫様の「癌」と、「癌医療」との戦いの記録です。1回目は、マル由さんの入院から手術、そしてお亡くなりになるまでを、日を追ってご紹介します。

<2001年8月18日岡山県T病院へ入院>
それまで胃痛で通っていた病院より、悪性腫瘍の診断を受けたマル由さんは、8月18日、T病院に入院。
癌摘出手術実施前に抗癌剤治療を2回施されました。
その理由は、事前検査によると「いきなりの外科手術は、すい臓への影響を考えると大変危険度が増す」との主治医の判断で、手術の負担軽減を狙って実施されたものです。
しかし、この時点で「抗癌剤の効く確率は50%位であろう。」との判断も主治医は下していました。
マル由さんはこの時、ご自身の意思で(と言っても、医師の誘導があった上でしょう。)「駄目もとで、体力のあるうちに抗癌剤をやっておくか。」と決断されたそうです。

(*通常、抗癌剤は1週間かけて実施されます。最初に強力なものを入れ、徐々に弱いものにして行き、最後の方で再度強力な物を投与するそうです。)

<抗癌剤治療1回目、8月25日〜9月1日まで実施。>
この抗癌剤治療の終了後、9月9日。私は平井先生御夫妻にお供して、初めてマル由さん、ご家族の皆さん、遠く横浜からお見舞いに来て下さっていた福岡さんとお会いしたのです。・・・それは、和やかで、とても奇跡的な邂逅でした。

平井先生は、なんとしても現状の医療機関から脱出し、本格的なメガビタ治療を実施できる病院に転院される事を強く望まれて居られました。
そして、平井先生よりメガビタ点滴の実施を提案頂き、「ビタミン情報室」でお馴染みの白田先生のご尽力でビタシー点滴投与も実施されることになりました。
しかし、主治医は「本人の希望だから」程度の認識でしかなく、メガビタとは程遠い分量でしかなかったようです。
(白田先生によると、主治医には10g以上の投与をお願いして下さったそうですが、実際は保険適応範囲内の1日2グラムだったようです。)
また、その間は抗癌剤の副作用で激しい嘔吐感があり、経口摂取できる状態ではありませんでした。
その後、徐々に抗癌剤の影響も治まり、食欲も回復。治療後検査の結果、胃とすい臓との癒着も改善しているとの結果が出て、ご本人ご家族ともに喜ばれたそうです。
「この段階でも手術は可能だが、抗癌剤の効果を確認できた為、更に抗癌剤投与によって病状改善(手術リスクを軽減する)させ、手術に臨みたい。」と言う主治医の方針に従い、再度抗癌剤治療を行うことを判断されたそうです。
・ ・・しかし、確かに出ている効果の裏側には、体力低下、抵抗力低下、
抜け毛などの副作用も確実に現れていたようです。

<抗癌剤治療2回目、9月22日〜29日まで実施。>
今回は前回より副作用が小さく、体調も極端に悪くなかったそうです。
(この2回目の抗癌剤治療後、10月7日。2回目のお見舞いに訪問。遠く横浜から福岡さんも訪れておられ、3人で「平井先生との邂逅」の思い出話に花が咲きました。私の訪問をなんとなく予感していたそうで、「縁」と言うのを感じたひと時でした。抗癌剤副作用もおさまり、私の目の前でパクパク差し入れのお弁当を食べられ、「これは必ず治るな」と確信しました。)

<10月13日一時退院。>
本番の手術までに、失った体力を取りもどすのが目的。
(私は、この2回の抗癌剤治療が、後の急激な体力低下の元凶のような気がします。副作用とは、大体後から出てくるものですから・・・。)

<11月6日入院。翌7日癌摘出外科手術実施。>
手術目的は、
(1)胃の全摘出。
(2)小腸にループを作り、そこに食道を接合(バイパスを作る)。
(3)十二指腸は入り口側を塞いで残す。
*手術予定時間は6時間である。
しかし、結果は・・・。
ご本人も書き込みされたように、胃以外にも転移が見られ、予定だった胃の全摘出を中止。
抗癌剤を直接患部に投与するリザーバと言うチューブを埋め込み、縫合されて終了しました。
この手術後、奥様には、「余命1年」との告知がなされたそうです。
(この時点で、主治医は「治療」ではなく、「痛み」の軽減へと舵をきったのは、明白です。)
術後、11月9日に退院予定だったが、ギックリ腰(癌の骨への進行の可能性もあった?痛みは最後まで続くことになる。)の為、延期。

<11月22日退院>
3回目の抗癌剤投与までに体力を取り戻す為の自宅療養でしたが、この埋め込まれたリザーバが大変な激痛与え、1週間悶絶されたそうです。

<12月3日入院>
堪らず、リザーバを取り除いてもらう為に予定より早く入院。
しかし、リザーバの摘出前に主治医の判断で抗癌剤を投与してから(ご本人には事後承諾に近い状態で行われ、その事は最後まで、悔しがられたそうです。)摘出されたそうです。

<抗癌剤治療3回目、12月11日〜18日まで実施。>
(手術後の検査で結論出しているにもかかわらず、何故抗癌剤投与するのか私には理解できません。)
この頃のマル由さんの様子は、食事が出来ず、点滴による栄養補給をしています。また、リザーバをとったにもかかわらず、その部分の痛みが取れない。
便秘の為、食欲も無い。抗癌剤による副作用の吐き気で、横になるのも辛い。
痛み止め(モルヒネ)のため意識もはっきりしない状態だったとか・・・。

結果として、3回(リザーバ摘出時を1回と数えると4回)にわたる強力な抗癌剤(副作用甚大な毒薬です。)、患部を開き肉体的負担を強いただけの外科手術により、一気にマル由さんは自身の治癒力、体力、気力を容赦なく殺ぎ落とされていきました。

<クリスマスも終わり、年の瀬の12月28日退院。>
お正月はご家族で過ごされ、食欲も回復。1月5日6日はご家族、奥様のご両親と温泉に出かけるなど、楽しい新年だったようです。

<1月16日入院>
しかし、その後、抗癌剤の副作用に似た吐き気や、痛み。腹水増加などにより、食事が出来なくなり、点滴治療(栄養補給)の為、入院。

<1月18日腹水ぬきとり。>
それにより、一時的にさまざまな症状和らぎ、落ち着いたとの事。

<1月27日>
初めて吐血。ご本人、大変ショックを受けたそうです。また、微熱が続く。
その後、2月より個室に移り奥さんも泊り込む。ひどい吐き気が続き、夜もほとんど寝れない状態だったそうです。

<2月10日>
腸閉塞をおこし、腸液を嘔吐するようになっていたそうです。

<2月12日>
夕方から酸素吸入を開始。背骨の痛みが激しく、局部麻酔も検討されたそうです。

<2月13日>
午後12時28分、・・・御亡くなりになられました。

マル由さんの様態は、あまりにも早い加速を遂げました。はたして、これは「癌」そのものが原因でしょうか?
医療方法・・・つまり、化学治療と、外科治療と言う医者の行った「癌治療」が原因と言えないでしょうか?
マル由さんの場合も、医者信仰と、世間的なプレッシャーは終始付いてまわり、ご自身、ご家族皆さんの心の中から払拭できずに(しかし、途中より医者へは不信をもたれていたそうです。)いたのではのではないでしょうか。
ですが、それは現在の医療風潮からすると、ごく当たり前のように私達にも刷り込まれている様な気がしてなりません。
「風邪」など自力で治すのに「癌」と聞けば即=「死」と結びつけ、大病院での化学治療に走ってしまうのが、実状なのではないでしょうか?
だが、それは本当に正しい選択なのでしょうか・・・?
そうは言っても、その「癌」の恐怖を平然と受け止める自信は今の私には正直ありません。
メガビタは必ず「癌」に打ち勝つ力を発揮します。しかし、それには先ず、
自分自身が「その時」に冷静にメガビタを選択できる心構えと、回りへの理解を求める努力を平素から払う必要を強く感じます。

平井先生はこう仰っています。
「マル由さんの死は、全ての人々への問いかけそのもです。貴方は、医者信仰による「死」を選びますか?それともメガビタ(民間療法)による「健康と長生き」を選びますか?前者を選んだ石の森章太郎は死を、後者を意志的に選択した赤塚不二夫はいまだに生きて漫画を書いているではありませんか。」

・・・次号に続く。 

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