『マル由闘病記』その4

マル由さんの「闘病記」もゴールが見えてきました。前回の長い長い文章読んで下さった皆さん、ありがとうございました。

今年に入って、最後の入院期間は壮絶な痛みとの戦いだったと思います。
ご家族の皆様にとってもあらゆる面で一番辛く、苦しい時期でもあったようです。それはこの「闘病記」にすら書く事を躊躇らいます。福岡さんから戴いた資料を読み、私は「家族」「夫婦」「親子」の絆をも揺るがす、「癌と癌医療」を心から憎みます。こんなに辛いレポート読んだことありません。この部分だけは、どうか公開ご勘弁下さい。ゴメンナサイ・・・。

新しい病院への転院が実現できなかった(奥さんだけの訪問も)のも、一瞬たりともマル由さんから離れなれない状態だったからのようです。
主治医への遠慮というか、医師の心象を悪くしたくないと言う心理も働いたようです。

『しかし、私も家族や自分自身が同じ状況なら、大切な命を預けている相手だから、反感を買いたくないと思ってしまうでしょう。・・・でも、それこそ
「医者信仰の罠」なのです。大切なのは、医者が患者を治すのではなく、患者が自分の体を治すのです。そして、自分で自分の考えを主張し、自分の意志に沿った治療のできる(または、選択できる)医療機関、医者を見つけ出すのが重要だと言う事です。
少なくとも白田先生の居られる埼玉県東松山市立市民病院はメガビタ実践可能な医療機関です。前回の柴田病院などもそうでしょう。皆さんもいざと言う時慌てないよう、自分の周りでそんな病院をあらかじめ探しておくのが良いのではないでしょうか?』

(2/7福岡さんレポート抜粋。生前のマル由さん、病状の最後のレポート。)

■病状等について

  • 何かを口にするとすぐに戻してしまうような「吐き気がひどい 状態」が続いている(そのことで本人も落ち着かないため、2 月からは個室に移らせてもらった/個室ということで、奥さんは泊り込みになっており、自宅の電話による連絡は困難)

  • 嘔吐の繰り返しによるものか、背中に痛みがある

  • 痛み止めの投与は続行?(本を読むことは難しい様子)

  • 本人の声の調子は、そう悪くない印象

  • 点滴にビタミンC(※現在は2グラム程度)を入れてもらえることになった!(今後の交渉で増量を目論む、とのこと)

  • 食事がまったくできないため、退院の目処は立っていない


項目がランダムになってしまって恐縮ですが、以上が石田夫妻との10分ほどのやりとりからわかった現状です。

これまでは、本人がいないところで、奥さんと彼の病状に関する話を聞いていたのですが、今回は、本人のすぐ近くでのやりとりであったため(奥さんの携帯を利用しました)、あまり詳しいこと例えば、ここ数日の治療内容と経過、今後の見通しなど、彼の耳に入ると差し障りがあるかもしれないことは、聞くことができませんでした。

とはいえ、点滴によるビタミンCの投与も始まりましたので、今はその「増量」と「食事の再開」を最優先に考えています。すべてはそこから、ですから、ね。

なお、本人は、「平井先生や大澤さん、そして皆さんにくれぐれもよろしく」と申しておりました。


2月12日、午後5時頃よりマル由さんの様態が急変し、酸素吸入が開始されたそうです。
そして・・・2月13日午後、福岡さんからの電話で、マル由さんの訃報を聞きました。
ちょうど出張先の現場で、資料とにらめっこしてた時です。車中から見上げた空は、雲ひとつない青空でした・・・。

(2/18葬儀後、福岡さんからのメール抜粋)

大澤様

金曜日は、公私ともお忙しい中、マル由こと故石田由紀夫の葬儀にご参列いただきまして、本当にありがとうございました。

由紀夫(と、僕たちはいつもお互いを「呼び捨て」にしていましたので、そう書かせていただきますね)も、最後に、大澤さんに会いに来ていただいて、心から喜んでいたと思います。

僕ら二人にとって、大澤さんは常に、十年来の友人、もしくはそれ以上に心強い仲間でいて下さいました。僕自身、物心がつくかつかないかぐらいの頃から輪廻転生を当然のことと考えて今日まできましたから、

「この前の人生でも、きっと、自分は、由紀夫や大澤さんと一緒 だったんだろうし、この次もきっとそうに違いない」

と、これは、ほぼ確信に近いものがあります(すみません、勝手に決め付けさせてもらいました)。

また、平井先生には、六ヶ月間の闘病生活を通して、単なる一読者には余りあるお心遣いをいただき、由紀夫も常に感謝(+恐縮ですよね、一読者としては...苦笑)しておりました。

大澤さんが、「最後の再会」の中で触れていらした通り、由紀夫は最後の最後まで「生きるつもり」でいました。それは、「最後の力を振り絞って」といった、死を覚悟しての悲惨なものではなく、どちらかというともっとのん気に、「死ぬつもりなんて全然ないからさ」といったものでした。

ですから、お通夜の前からずっと、由紀夫の顔を見ていて思ったのは、

「え、何でこうなってんの?」

「オレ、一体どこでヘマをしたんだ?」

と、一番キョトンとしていたのは、おそらく、由紀夫本人だったのではないか、ということです。

確かに、絶え間なく訪れる痛みや吐き気、そして最後は骨に達したガンから来る痺れもあったと奥さんから聞きましたから、ツラくなかったとは言いません。
ですが、「死を覚悟して諦めていた」のではなかった、ということも言い切れるのです。


実は、葬儀の翌日(※当日は、そのまま津山に泊りました)、奥さんと坊や二人、そして僕の友人たちとで、鶴山公園の手前にある「津山科学教育博物館」に遊びに行きました。僕らの労をねぎらいたい、という奥さんからの申し出でもあったと思うのですが、突然訪れた寂しさを紛らわしたい気持ちもあったのでしょう(と奥さんの面倒を見てくれていた友人のカミさんが言ってました)。
坊やたち二人を中心にして、帰りの電車の時刻まで、賑やかな一時を過ごすことができました。

ちなみに、この夏には、親子3人で、東京に遊びに来てくれることにもなっています(由紀夫は口惜しがっていると思いますが...笑)。

そうやって、少しずつ、寂しさを乗り越えて元気になって欲しいと思いますし、そのためにできることは何でもするつもりです。

本当に色々とありがとうございました。そして、今後ともよろしくお願いいたします。


福岡 真一

PS.
由紀夫の枕元には、お気づきになった「時空暴走気まぐれバス」とガンダム関連から、富野さんの「密会(角川ミニ文庫版/上下)を入れさせてもらいました。

それと、葬儀の当日に届いた新作ですが、位牌の前に供えてあるとのこと。
奥さんは、「あと一日早く届いていたら、お棺の中に入れてあげたのにねぇ」
と言ってましたが、
「いや、読む前に燃やしたら、きっとガッカリした、いや、絶対、 激怒したはずなので、これで良かったんですよ」

と申し上げました(由紀夫の大きく肯く姿が目に浮かびます...笑)。


幻魔大戦DNA、先生も仰ってましたが、読んで頂きたかった・・・。
あのセットを手にして笑ってほしかったです。

・・・これで一様「マル由闘病記」は本編終了です。
書いたというより、福岡さんと先生のメール添付した感は否めませんが(笑)、ウルフガイドットコムで皆さんにお教えできなかった事を(随分悩んだんです。ご本人様も知らない事あるし、プライベートな事、守秘しなければならなかったし。)お話できて良かったです。
そして、私も知らなかった事件、ドラマを知る事になりました。(それは、ご家族だけの物語です。そこにまで踏み込んで書く事は、私にはどうしても出来ません。その部分が、同じ境遇の方の役に立つのかもしれません。でも、どうぞご理解下さい・・・。)
次回は最終回です。もう少しお付き合いください。

・・・次号に続く。 

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